第48羽 蜘蛛の糸

蜘蛛の糸

芥河龍之介の蜘蛛の糸の話はどこかで一度は聞いたことがあるだろう。

私は保育園時代に紙芝居で初めて聞いて、その後も何度か本で読み返し印象深く心に残っている。

お釈迦様が地獄を見降ろしたときにカンガタという悪人が前の世で蜘蛛を殺そうと思ったのを思いとどまって逃がしたというたった一回の善行を思い地獄から救おうと極楽から蜘蛛の糸を垂らした。カンガタは地獄から抜け出せる、しめたと思って蜘蛛の糸につかまって登り始めた。しかし、気が付くと自分の下には我も我もと思う地獄に落ちた者たちが続いて登っていた。

カンガタは切れるから来るな、来るな、落ちろと喚き散らし、すぐ下のものを蹴落とそうとした。その瞬間蜘蛛の糸はぷつんと切れ再び地獄へ全員真っ逆さまに落ちてしまった。お釈迦さまも静かにそこを離れ、それ以上何もすることはなかった。

という話だった。

お釈迦様はたった一つの善行で何故救おうとしたのか?

あれは蜘蛛の糸が弱かったから切れて救えなかったのだろうか?

別の話では、天国とはご馳走を前にしているけどちょっと手には届かないところにあって、長い箸を皆で持ってお互いに食べさせておなか一杯に満足しているような所、逆に地獄とは誰もが自分だけがそのご馳走を食べようと長い箸で苦戦して食べようとしているが食べることが出来ずイライラして争い合って、絶えず飢えているようなものだと言う。

今では分かる。

地獄に住む者が「先に行って、みんなの分も蜘蛛の糸を垂らしておくれ。」という提案や「一人ずつ順番に登ろう。」と言って相手に譲り合い助け合っていればみんなで天国に行けたのだということ。

お釈迦様もあの蜘蛛を助けようとした思いがあれば救われると思って糸を垂らしたのではないかということ。

お釈迦様も自分たち自身でそれに気付かないうちは救えないということ。

何故なら、自分さえ良ければいいという考えのものが一人でもいると天国も地獄に変わってしまうから。

みんなの前に既に次元上昇するための光の糸は垂らされているが、欲にくらんでいるものの目には見えない。

自分達自身で気付こう。

他力本願で幸せを掴みに行こうとしない姿勢も良くありませんが、自分さえ良ければいいという考えではなく、人の役に立つ人になろう、人の為にできることをして自分も幸せになると思って生きてください。

そうすればこの世の地獄も天国になり、あの世に行くときも天国へ行けるでしょう。

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