第49羽 無神論

無神論

無神論とは神の存在を信じない者。

科学の発展につれ無神論者は増えてきた気がする。

神を信じるより科学が私達を豊かにし、願いを叶えるものになったからかもしれない。

だからと言って科学者がみんな無神論者という訳でもない。

科学は神の存在の証明を出来ないが、神がいないという証明も出来ていない。

最近は科学者の中にもインテリジェント・デザインという説を唱えるものもいる。また、ダーウィンの進化論もまことしやかのように唱えられていますが、あれも説でしかない。メンデルの法則と相反するという者もいれば、ミッシングリンクを指摘する者もいるということを忘れてはならない。

無神論者も宗教を信じないが教科書だけが正しいと信じているだけに過ぎないということ。

私は無神論者ではない。教科書全てが正しいとも思っていない。

神は存在するし、この世は神の創造で創られたと信じている。

偶然にこの世ができたのであるなら、この世は無意味で生きる意味を感じないから。

しかし、ある時どうして神がこの世を創ったのであるなら、神の存在を信じない人がいるのだろう?と疑問に思ったことがある。神の存在を信じないこと自体に疑問を感じたのです。

私達の生きる目的は魂の進化です。

何故か無神論者は科学だけを信じて、自分自身で幸せのものを追い求めるのに努力を惜しまないように見えた。

私はある意味、神を信じるあまりに信じていれば必ず運命のような導きがあると思って自ら努力することを怠った者です。(しかし、信じて何も得られなかったのでもなく、人生の転換期にはシンクロニシティ=偶然の一致が起こり、運命のような導きはあった。)

産まれてくる前に自分に足りないものを補う人生計画を自ら立てて産まれてくるという。努力を怠るのであれば、無神論の方が却って良いのかもしれない。

ニーチェは「神は死んだ」と唱えましたが、いいえ、無神論者の中にも神は生きています。

私達は宇宙神の分け御霊の神です。

無神論者は自分という神を信じて努力して生きているのですから。

そして、長年生きて考えているうちに私達の生きる真の目的は何かを信じることではなく、魂の進化=愛の探求、実践だと思うようになりました。

信じる、信じないに係わらず愛に到達するのなら良いのではないのでしょうか。

私達は最終的に愛=唯一神に戻るのです。

神を信じることが大切だと思って生きてきましたが、それよりも努力し、人の役立つ人間になることが最も大切なことだという気づきを私は与えられました。

神は信じる者よりも深く愛になる者を選びます。

愛になれば神に会える者になります。

神の愛=会いにいきましょう。

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