第58羽 父母に感謝する

父母に感謝する

日本ではお墓参りや先祖供養しないと罰が当たって悪いことが起こるとか、家が廃れるとか変な噂を聞く。

私自身はキリスト教で育ったのでキリストや神様を信じることが一番大事なこととされていたので先祖供養というのはピンとこなかった。

子どもの頃はお墓参りをして、手を合わせてお墓の中にいる祖父母に話しかけていただけだった。

今ではお墓も遠い場所にあって兄弟で一番近くにいる姉が毎年欠かさずお墓参りに行ってくれることでなんとなく安心している。

先祖供養ってなんだろうか?

そもそも死んだ人が天国に行けなかったとしたら、子孫の責任ではなく自分自身の責任であって、供養に関わりなく自身で反省しないと浮かばれないのではないのでしょうか?

それを逆恨みして子孫に悪いことが起きるようにと先祖が何かするのでしょうか?

私は、それは自分の子供を痛めつけるようなものなのでそんなことはしないと思うのです。

それに自分に悪いことが起きないように供養しないといけないというのも何だか変な感じがしませんか?

よく死んだ人にりっぱな戒名をつけてあげたら天国に行けると思わされて、名前一つに多額を支払っている人がいるけれども、お金をつぎ込めば、生前何をしていても天国行きが保障されるという考えのものだとすると中世のキリスト教がしていた免罪符と何が変わるのでしょうか?

聖書では先祖供養のことは言わないけれども、モーセの十戒の教えの中に『父母を敬え』というものがある。私はその教えは忠実に守ろうとしていた。

しかし、最近読んだ自己啓発で母に感謝の意を伝えた方が人生は好転していくと書いてあるのを何度か見かけて思うものができた。

感謝と、敬うのとは何か違うのだろうか?

私自身父母を敬うようにしていたけれど、感謝することをしてこなかった気がする。

敬うことより感謝することの方が大事なように思える。

ただ、敬うことから感謝することが出来るようになることの方がもっといいのかもしれない。

なんとなく照れ臭いけれど、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと感謝の意を本当は父母が生きているうちにきちんと伝えた方がいいということ。

もし、伴侶がいるなら、その父母にも感謝の意を伝えるべきです。

もう既に父母が他界してしまっているのであれば、感謝の意の祈りを捧げましょう。

輪廻転生は私達が何度も生まれ変わってはこの世に降りて来るもの。

或いは先祖は自分自身だったということもあるのです。

ある意味、命は繋がっているという先祖供養の教えは、自分自身を大事にして生きるというものになる。

本当は全ての人は自分自身というものの考えもある。

それは、私達は宇宙意識の一部でありパズルの一ピースのような存在で、近いものほど隣り合っている。

近しいものほど自分に近い存在。

それは家族や命の繋がりのものでもある。

この繋がりを大事にして今ここに在ることに感謝して生きるということが本当は大事なのです。

本当はそれが自分自身の供養になり、天国に行ける存在になるのではないでしょうか。

 

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