第61羽 アドラーの心理学(勇気の心理学)

アドラーの心理学

 

他者を変えるのではなく、自分が変わるための心理学、勇気の心理学

人は変われる。世界はシンプルで誰もが幸福になれる。

問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか。

トラウマは存在しない

過去の「原因」ではなく、今の「目的」に沿って生きている。

原因は言い訳で目的とは嫌なことを避けたい、逃げたい、楽になりたい、という願い。

例:引きこもりの人は「不安だから外に出られない」ではなく、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」

意識と無意識、理性と感情が葛藤するというのは嘘である。

「わかっているけどできません」とは「やりたくない」だけ。

「原因論」で考えても解決にはならない。

原因論から目的論に変え動機づけをする。

大切なのは何が与えられたか(変えられないもの)に注目するのではなく、与えられたもの(変えられるもの)をどう使うかに注目すること。(原因は何かより、これからどうするか。)

またその違いを見極める知恵が必要。

自分の生き方は自分で決められる。=自己決定性

人間は、環境や過去の出来事に運命を支配されるのではなく、自ら運命を創造する力がある。

今のあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだから。

あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではなく、ただ「幸せになる勇気」が足りていない。

多少の不満や不自由があったとしても、今のままでいた方が楽だと感じている。

最初にやるべきことは言い訳をやめ、「今のライフスタイルをやめる」決心をすること。

これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。

自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きる自分自身なのだ。

まずは「いまの自分」を受け入れて、例え結果がどうあれ、変えられる物事を変える勇気を持つ。

 人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

自分の短所ばかり見つめ、自分を好きになれない(嫌いな)のは、他者から嫌われ、対人関係で傷つくことを過剰に恐れているから。

悩みを消し去るには、宇宙の中にただ一人で生きるしかない。

劣等感は他者との比較による「客観的な事実」ではなく、「主観的解釈(自分なりの解釈や意味づけ)=私的論理」。

客観的事実は動かせないが、主観は同じ事柄を良くにも悪くにも自身で選択可能。

人は違う興味・関心で生きている。自分の記憶したいように記憶し、体験したいように体験する。

私的論理の強い人の関心事は、「他者が私に何をしてくれるか」「他者は私に注目しているか」「私を十分に評価しているか」ばかり気にする。

劣等感は誰にでもある

人は無力な存在として生を受け、その無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求がある。(優越性の追求

優越性の追求も劣等感も努力や成長の促進剤。

劣等コンプレックスは、自らの劣等感を~だから~できない、というような言い訳にして人生の課題から逃げ出すこと。

しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。

優越コンプレックスはあたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る。(優れた人と懇意であることをアピール、過度なブランド信仰等。)

その根底は強烈な劣等感。

自慢する人は、劣等感を感じているからにすぎない。

不幸自慢は不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上に立とうとする。

自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする限り、その人は永遠に不幸を必要とする。

健全な劣等感は他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想のわたし」との比較から生まれる。

われわれは「同じではないけれど対等」。

いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ価値がある。

失敗とはチャレンジの証、若しくは学習のチャンス。

他者と比べると他者全般を、ひいては世界を「敵」とみなすようになる。

「人々は私の仲間なのだ」と実感できれば、誰かに勝つ必要もなく、世界の見え方も全く違ってくる。

そうなれば、他人の幸福も祝福できるようになり、対人関係の悩みが激減する。

劣等コンプレックスが自分を苦しめる3つのパターン

①劣等感を押し殺して苦しむ

劣等コンプレックスを悩みとして抱え自分の中でうまく昇華できない場合、肉体的にも精神的にも病んでしまう。

②劣等感から自分を憐れむ

自暴自棄になったり、ときには自傷行為に発展させ、自分をさらに追いこんでしまう。

③自分の劣等感に他者を巻き込む

嫉妬や恨みの感情から他者を不幸にすることで、劣等感を解消しようとする。

ライフスタイル(3つの構成要素)を変える

①自己概念「わたしは○○である」

どうせわたしは役立たずである→わたしは人の役に立つ人間である

②世界像「世の中の人々は○○である」

どうせ世の中の人々はわたしを必要としていない→世の中の人々はわたしを必要としている

③自己理想「わたしは○○であらねばならない」

わたしはひとりで生きていかなければならない→わたしはみんなと力を合わせて生きていく

幸福なライフスタイルの共通項はコモンセンス(共通感覚)=社会意識の感覚、判断

 

問題行動に走る子どもは

最初の段階で「特別によくあろう」とする。

しかし、それがかなわなかった場合、一転して「特別に悪くあろう」とする。

どちらも他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になることを目的としている。

本来、勉強やスポーツでなにかしらの結果を残すために一定の努力が必要だが、問題行動を起こす子どもは健全な努力を回避したまま、他者の注目を集めようとする。=「安直な優越性の追求

叱るからこそ問題行動をやめない。

「普通であることの勇気」を受け入れる。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない。

 

怒りとは

目的をかなえるための手段であり道具。

相手を「支配」するために「怒り」という感情を作り出して利用している。

怒りという道具に頼らずとも意思の疎通はできるし、自分を受け入れてもらうのも可能。

正しいと思うと勝ちにこだわる。

主張の正しさは、勝ち負けに関係はなく、自分が正しいと思うなら、他人のどんな意見であれ、そこで完結すべき。

多くの人は権力争いに突入し他者を屈服させようとする。

それは自分の誤りを認めることが負けを認めると考えるからである。

誤りをみとめること、謝罪をすること、権力争いから降りることは、負けではない。

感情に「支配」されるのではなく「利用」すればいい。

人生において直面する課題(タスク)をどう乗り越えるか

人間の行動面の目標

  • 自立すること
  • 社会と調和して暮らせること

行動を支える心理面の目標

  • わたしには能力がある、という意識
  • 人々は私の仲間である、という意識

これらの目標は「人生の課題」と向き合うことで達成できる。

人生のタスクとは一人の個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない関係。

  • 仕事のタスク 仕事にまつわる対人関係
  • 交友のタスク 仕事を離れた、もっと広い意味での友人関係  
  • 愛のタスク  家族との関係、特に親子関係

人は「この人といると、(劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要も駆られず)とても自由に振る舞える」と思えた時、愛を実感することが出来る。

人生の課題を様々な口実を設けて(他者や環境に責任転嫁して)回避しようとする事態は「人生の嘘」である。

ワーカホリック(仕事中毒)は仕事を口実に、「交友の課題」「愛の課題」から逃げようとしているにすぎない。

会社の仕事だけしか考えないのは人生の調和に欠いた生き方。

こういった生き方は「行為のレベル」でしか、自分の価値を認めていない。

不眠は課題解決を考える時。

 課題に直面した時、原因をあれこれ考えたり、起こってもない心配で悩むのではなく、これからどうするか困難に向き合って解決すること。

 

他者の課題を切り捨てる

承認欲求を求めない。

我々は「他者の期待を満たすために生きているのではない。」他者の期待を満たす必要はない。

自分の課題と他者の課題を分離すること。

対人関係のトラブルはこの他者への課題に踏み込むことで起きる。

課題の分離は「その問題を放置した場合に困るのは誰か?」で見分ける。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させないことで対人関係の悩みは一変する。

我々は見返りを求めてもいけないし、そこに縛られてもいけない。

他者の期待を満たすように生きること、自分の人生を他人任せにすることは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方である。

自己中心的なのは

他者の課題に介入すること。

「課題の分離」ができておらず、承認欲求にとらわれている人。

自分にしか関心を持たない「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方。

自由とは他者から嫌われることである

他者の評価を気にせず、他者から嫌われることを怖れず、承認されずとも、自分の生き方を貫くことで、自由になれる。

幸せになる勇気は、嫌われる勇気も含む。

関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方。

 

劣等感は、縦の関係の中から生じてくる意識

「縦の関係」(上下関係)ではなく、全ての対人関係を「横の関係」(対等な関係)にする。

横の関係を築くことが出来れば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなる。

対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまう。

介入ではなく援助(勇気づけ)という形をとる。

(馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない。)

 

叱ってはいけない、ほめてもいけない

賞罰(飴と鞭)教育の背後にある目的は操作。

褒めるという行為は「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれている。

「褒めてくれる人がいないと、適切な行動をしない。」

「罰する人がいなければ、不適切な行動をとる」という誤った方向になる。

叱ると一時的には効果がある。しかし、本質的な解決にはならない。むしろ、相手は活力を奪われ、ますます言うことを聞かなくなるだろう。

人は褒められること(よくできました、えらいわね、すごいじゃない等)によって「自分に能力がない」という信念を形成していく。

コントロールするのではなく、教育すること。意味を教え、その方法を理解させ、自分で正しく判断して行動に移す能力を身に付けさせることで、自立を促す。

感情を見つめて、「叱る」のではなく、注意を与え助言すること。

 

横の関係に基づく勇気づけのアプローチ

他者を評価しない。

対等なパートナーが手伝ってくれた時どう声掛けをすればいいか考えると、

「ありがとう」「うれしい」「助かった」といった素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出て来る。

人は感謝の言葉を聞いた時、自らが他者に貢献できたと知る。

自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる。

意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切。

勇気づけの3つの段階

自らの人生の課題を解決するために行動できる(=自立)よう自分を、もしくは他人を援助すること。

課題を解決していく能力があると感じることが、自信を築く唯一の方法。

  • 相互尊敬・相互信頼の関係の中で行うこと。
  • 相手が自分で自分を勇気づけられるようになること。
  • 共同体の役に立つようにすること。

ここに存在しているだけで価値がある

「なにをしたか」(「行為」のレベル)で判断せず、そこに存在していること(「存在」のレベル)、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていく。

あなたにとって大切な存在は「直接的な行為など求めず、ただ無事に、いまここに存在しているだけでありがたい」ものである。

自分を「行為のレベル」で受け入れるか、「存在のレベル」で受け入れるかは「幸せになる勇気」に関わってくる。

対人関係のゴールは共同体感覚

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを共同体感覚という。

共同体は家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までも含まれ、さらには動植物や無生物まで含まれる。

対人関係で困難にぶつかって出口が見えない時は「より大きな共同体の声を聴け。」

自己肯定ではなく自己受容へ

自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。

そこで必要なのは、

自己受容」:仮にできないとしても「できない自分」をありのまま受け入れ、できるだけ前に進んでいく。

他者信頼」:他者を無条件に信じること。信頼することを怖れたら、誰とも深い関係を築くことはできない。

他者貢献」:自己犠牲ではなく、自分の存在や行動が共同体にとって有益(自分が誰かの役に立っている)と自らの価値を実感するためになさるもの。他者が自分に何をしてくれるかではなく、自分が他者になにをできるかを考え実践すること。

自己受容→他者信頼→他者貢献する→誰かの役に立っていると実感→自己受容と円環する

世の中は善人ばかりでなく、対人関係のなかで不愉快な思いにさらされることは多々あるが、攻撃してくる「その人」に問題があるのであって、決して「みんな」が悪いわけではない。

物事の一部を見て全体を判断する生き方は「人生の調和」を欠いた生き方である。

一部に焦点を当てて、そこから世界全体を評価する必要はない。

われわれは完璧を求めているのではなく、ただ向上したいだけ。

他人の評価に左右されてはならない。

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれない。

自分の不完全さを認め、受け入れなさい。相手の不完全さを認め、許しなさい。

 

幸福とは貢献感である

他者貢献は、目に見える貢献でなくても良い。

「わたしが誰かの役に立っている」という主観的な感覚(自己満足の貢献感)を持てれば、それでいい。

自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。

承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由はない。

自立した人間が、共同体に貢献できる。

 

「いま、ここ」を真剣に生きる

人生を線(レール)でとらえない。人生とは連続する「いま」(点)という刹那。

われわれは「いま、ここ」にしか生きることはできない。

目的地は存在しない。

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

「いま、ここ」を真剣かつ丁寧にやっていくことで刹那は常に完結したものになる。

人生における最大の嘘は「いま、ここ」を生きないこと。

困難に見舞われたときこそ前を見て「これから何ができるのか?」を考えるべき。

「いま、ここ」に「一般的な人生の意味はない。」が、「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」

自由なる人生の指針としての「導きの星」こそ「他者貢献

「わたし」が変われば「世界」は変わる。

世界とは、他の誰かが変えてくれるものでもなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。

参考文献:『嫌われる勇気』岸見一郎、古賀史健

    『まんがでわかる アドラー勇気の心理学』及川 昭理

    『ありのままの自分を認める』 岩井 俊憲

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