第63羽 ありのままの自分

ありのままの自分

アナと雪の女王で流行ったありのまま。

ありのままの自分を認めるとは?

ありのままの自分を受け入れ、こんな自分でいいのだと自己肯定をすること。

今の日本は、戦争がない平和の世の中になって、食べ物や物資やお金というある意味物資が満たされるようになってきた。

しかし、心の平和はまだ得られず、未だ外側の世界に幸せを求めている。

ありのままの自分をどう肯定すればいいのか?

誰かに愛してもらえればこんな私でもいいのだという思いになる。

そう思って生きている。

いつも不足を感じる。

それは産まれてから今まで生きてきた親、家族、学校、友達、仕事などあなたを取り巻く社会から取るに足りないものだと思わされてきた劣等感。

誰かにその誰かの劣等感の穴を埋めるために攻撃される、または大きく期待されて自分の劣等感が広がっていく。

それを埋めようと、自分を守ろうと、自分がまた誰かのせいにして誰かを攻撃するが、穴は埋まらない。

それは、誰かの所為にすることで、本当は自己否定を繰り返す者になっているのです。

劣等感とは潜在意識で自分が駄目なものと思っているものなのです。

互いに誰かの所為にしている限り穴を塞ぐことはできない。

ありのままの自分とは?

最近駄目なままの自分でいいのだよともよく耳にする。

元々、自分は駄目な自分なのだろうか?

駄目な自分と思い込んでいるだけなのではないだろうか?

或いは私達を取り巻く社会の評価で自分を駄目だと思っているだけではないのだろうか?

痴呆症になった時、記憶は新しいものから消えていく。昔のことほどよく覚えていて思い出すという。

或いは印象深いものほど残っている。

幸せな人生を送ってきた人は幸せの記憶を語るだろう。

不幸せの記憶を多く創った人は不幸せな言葉を多く口にするだろう。

記憶を消していって最後に残る記憶はなんだろうか?

最初に覚えるのは殆どの場合「ママ。」というお母さんを意味する言葉。

本来、ママはありのままの自分でいいというものを与えるものです。

この世に生を受ける時、私達は無条件の愛を信じていたに違いない。

私達は元々愛の中の無垢な存在だったのです。

或いは自我(エゴ)を手放すと何が残ると思う?

自我とは自分が生まれてからこれまでに、自分を取り巻く環境から培ってきた経験や学習による価値観。

元々私達は神の分け御霊。

エゴを切り離すと残った自分は神のような存在。

本当は何にでもなろうと思えばなれる存在。

ありのままの自分を認めるとは、我ままに生きるでもなく、自分を駄目だと思う思いや、他人の目を気にして作った自我を手放す作業をし、元々生まれ持った神聖なる自分を自分の内側で見つけ、愛することだと考える。

それは誰かに自分の価値を認めてもらう必要はない。

自分が自分に価値がないと思っているとしても、自分が少しでも良心に従って、前進しようとしているのであれば、生きているだけでも十分なのです。

私たちは、苦しみもがきながら生きて幸せを求め、進化を求め、愛することを求め、頑張って生きているのですから。

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