第66羽 解脱とは

解脱とは

仏教において解脱とは、煩悩に縛られていることから解放され、迷いの世界、輪廻などの苦を脱して自由の境地に到達すること。悟ること。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1

輪廻は何故続くのか?

カルマを貰って永遠とも思うような転生を繰り返し、何故人はさまよい続けるのか?

私たちは分け御霊の神としてこの世に降りて経験を積んでいる。

転生輪廻は経験を積むことによって、私たちは魂を進化させ、愛を学ぶことをしているのです。

皆は悪いことをしたら、地獄に堕ち、良い行いをしたら天国に行けると教えられたでしょう。

因果応報。自分の報いは自分に還る。

あれは、嘘でもない。

心の有り様が地獄にも天国にもなるのですから。

それはあの世に行ってからだけの問題でもない。

因果応報は自分の感情がこの世に映し出されている。

怒りの感情を止めようとしないなら、怒る感情のものがいつまでも目の前に映し出される。

不安の感情を止めようとしないなら、不安になる感情のものがいつまでも目の前に映し出される。

反対に心を穏やかにし、平和を求める者は、心の平和を貰うのである。

皆は産まれた時の環境の違いで、その感情も左右される、不平等ではないかとも思うかもしれない。

しかし、カルマは現世だけのものでなく過去世からも貰っている。

今世や来世を良いものにしたいのであるなら、現世のカルマを解消していく必要がある。

どんな環境であっても心を平和にできたならあなたの勝利である。

或いは、人の死は必ず付きまとうというと、悲しみや苦しみは必ず貰うものになると思うでしょう。

魂に死は存在しない。

肉体の死を恐れることはない。

愛の存在となってこの世を去るのであるなら、喜ぶべきものでもある。

どうか、魂を赦し癒してください。

苦しみや悲しみを経験することによって、私たちの愛は最大の喜びに変えることができるのでもあるのです。

解脱は、ものの捉え方も変化すると思います。

例えば、この世に見えている全ては皆が同じように見えていると思うでしょう?

実際は人の心の捉え方で見え方は変わるのです。

例えば物事には長所、短所が存在します。

同じ物事でも、地獄に囚われる者はネガティブな側面ばかり見続け、自分のことしか考えようとせず、天国に上昇した者はポジティブな側面を見て、良いものに変えようとするのです。

いつか私たちは愛の学びを終え、宇宙の中心にいる大元の神の中に帰っていくのです。

神もさらに進化するために、分け御霊で経験を積んでいるのです。

解脱は自分自身の中にある愛に気付き、自分自身の愛を貰うことです。

自分を愛する人は誰かの所為にしたり、誰かを貶めたりすることをしません。

また、外の世界に依存することも止め、誰かに幸せのものを与えようとします。

また、自殺は永遠とも思えるカルマを貰うとも覚えておいてください。

私達は進化のために何を学ぶかを自分で決めて、この世に生れてきています。

自分で命を絶つという行為はその学びを放棄したことであり、また来世にそのカルマを学ばないといけなくなるのです。そして、同じところで躓いてまた自殺を繰り返すものになるのです。

自分を愛する者は自殺という手段は選びません。

あなたの存在をあなたが認め、あなたが自分を愛することこそが解脱なのです。

だから、いい加減に自分の内なる愛に目覚めましょう。

それが、自分を幸福にして、しいては世界を平和に変えていく者になるのですから。

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