第68羽 沈黙

沈黙

遠藤周作の『沈黙』はキリストの宣教師が日本に来て宣教をしていたが、丁度キリスト教が迫害を受ける時代になり、迫害される信者を救いたいと思う宣教師の葛藤の物語であった。

キリスト教では今世だけが全てでイエス・キリストを信じないと天国に行くことはなく、地獄に堕ちると教える。

宣教師は思うのです。

神がいるならこの哀れな者たちを救ってください。

あなたならそれができるはずです。

宣教師は宗教弾圧者にもこの迫害を止めて欲しいと乞い願いますが、最後はあなたが棄教すればこの弾圧は止めると脅されます

宣教師が棄教すれば、信者も棄教することになるからです。

キリスト教を信じる者にとって棄教とは即ち地獄行きを決定するものとなるので簡単には出来ないので神に問うのです。

神よ、答えてください。私ができることを。

神は最後まで答えることはなく、宣教師は自ら棄教することで宗教弾圧を止めて物語は終わりを告げます。

自身が救われたいという願いと、みんなを救いたいという願いの究極の選択で彼がとったのは、みんなの苦しみを解放することだったのです。

神は直接干渉することもあるかもしれないけど、自分達自身でこの世を生きていくことで進化=愛の探求、実践を望んでいます。

この宣教師は地獄に堕ちたでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。

彼の内在する神は彼らを苦しみから救えと言ったのです。

彼にとって心が安らかになったのはみんなの苦しみを解放したことです。

みんなを救うことが彼の救いだったのです。

マザーテレサは愛の反対は無関心だと言います。

沈黙とは、ある意味自分さえ良ければいいという無関心でいる人たちのことです。

誰の魂にも神は存在します。

例え無神論者であろうが、愛を与える行動こそ救われるものになり、神を信じていても愛のない行動は救われないものになるのです。

私達は幸せを求めて生きています。

真の幸せは愛です。

沈黙のまま生きるのではなく、愛に目覚める生き方をするのです。

それが御国をもたらす者になるのですから。

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