第94羽 手放しと受容

手放しと受容

よく、人間関係のトラブルを失くすために、スピリチュアルで執着を手放しすることを薦める者と、感情を受け止めることをいう者とがいる。

まるで、相反するようなこのワークはどうなのかと感じていると、

人間の基本感情は心理学的に、喜び、怒り、悲しみ、恐怖の4つで、それ以外は基本感情を合成してできた代理感情だというものを発見した。

代理感情には、寂しい、妬み(嫉妬)、羞恥心、イライラする、憎悪のようなものが存在し、

例えば、何か盗られて腹が立って怒りを感じる時、その怒りがいつまでも収まらない時は、怒りは代理感情であって、本当の感情は悲しみであるということ。

本当の感情であるなら、しばらく感情を見つめていれば収まるが、思考であれこれ考えて代理感情が生まれ、いつまでも気持ちが収まらなくなってくるということだろう。

ここで、受け止めるべきは本当の感情であって、代理感情は執着のようなものになるので、手放す必要があるということになる。

手放しをする必要性は、何かを執着して得ようとすると、却って得られなくなるので執着を手放すというものである。

そして、執着にならないのは、「どっちでもいい。」という、仏教的用語でいうと、中道にいることだそうです。

しかし、何かを得ようとしないで、欲しいものを得るとも思えない。

私的には、「どっちでもいい。」になる前に執着はある必要性を感じる。

そして、「もういいや」という執着の手放しが、「あるがままに委ねる」受容にもなるように思うのである。

そう考えると、手放しも受容も相反するようで、二元性の性質を持つという意味では統合するものであるとも捉えることが出来る。

そして、どちらにしても、自分の感情を抑圧して閉じ込めると、カルマから抜け出せなくなるということを理解しておくことが必要であるということなのである。

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